参謀note
気付きの走り書きメモ
中年を迎えてからの自己投資が不良資産とならないために
中年真っただ中、「数学」と「歴史」を積極的に学び直しています。
仕事で取り組む課題を、整理、共通化、構造化、数値化することに加えて、課題が課題として浮上するに至った背景であるマクロとミクロの環境、経緯の本流と支流、人物への理解と想像に示唆を与えてくれます。
お恥ずかしい話ですが、学生の頃はほとんどの授業に「こんなもの、何の役にも立たない」と啖呵を切って、学びを放棄していました。今改めて当時の自分を振り返ると、わがままの正当化、言い訳であり、もっともカッコ悪い行為に精一杯カッコつけていたことを反省すると同時に、滑稽で可愛くもあります。
でも、そう思うのも無理ありません。当時の自分の想像力が欠如していたことは認めますが、幼さゆえの直球的な貪欲さが根底にあったのだと思います。当時は実際の社会を知り得ない立場のため、教科書の中に書かれている知識が、何の役に立つのか、実際の社会でどのように役立てるのか、その意味が理解できずに反抗することで自己主張と正当化をしていました。
しかし、今こうしてある程度社会経験を経たうえでの学び直しは、あの頃に教科書の中に閉じ込めてしまった知識を、想像力だけではなく、経験と実績によってリアリティを帯びさせることができます。
個人的には、仕事の課題に数学的思考と歴史的思考をセットにして取り組むと、対象課題を構造的、立体的に、そして経緯を捉えることで、文脈の理解と相手の立場から見た風景などを解像度高く捉えられると実感しています。
特に、中年を迎えてからの自己投資では、費やす時間とお金が不良資産化しないためにも、何をもって回収とするのか、すなわち「成果は何か」の問いを持つことが重要だと考えています。なぜなら、自分の、そして関わる人たちと社会の未来をより良くしていこうとするのが、良識ある社会人としての責任であり、それは成果によって実現されるからです。
そして、それは社会経験を持ち合わせない、学生との明確な違いでもあります。
不良資産の蓄積によって未来を先細らせないよう、意義深く、注意深く進化する、貢献に貪欲な中年でありたいと願います。
自戒を込めて。
参謀 青木 永一