参謀note

気付きの走り書きメモ

繊細さんほど、図太さを装うほうがいい理由

繊細さん

 

人の行動や思考は、「環境」や「場面」ごとの状況との相対によってどうとでも変わってしまうものですよね。なので、あらゆる出来事は、過去に溶けていく過渡的な現象だと考えていいんだと思います。

 

つまり、極論すると「どうせ忘れられること」と言い換えることができます。

 

このように達観した「つもり」で状況や出来事を捉えなおすことができれば、その瞬間ごとの一喜一憂に囚われず、冷静に見切った判断ができる一助になると思います。

 

それが嫌ならば、常に相手の感情などを慮り、すり寄ればいいだけの話です。悩む必要などありません。

 

でも、そんな生き方はつらくありません?

というより、面倒くさくありません?

 

生きていれば当然、自分の身に降りかかる良いこと悪いことなどいろいろあって当然です。ならばもっと、自分が置かれている環境にともなう役割や発言、成果などを赤の他人の都合で「良い」「悪い」と判断されているだけと割り切っていいはずなんです。そのように割り切ると、自分と相手、ひいては社会に対し優しくなれますし、それこそがあらゆる対象との正しい向き合い方だと確信できるのではないでしょうか。

 

時間が過ぎて状況が変われば、評価は変わるかもしれません。いや、むしろ変わることが自然です。なぜなら、環境の変化によって社会の常識などは無責任に変わり、それにともない人の評価も無責任に変わるのが常です。

 

これは、歴史上の出来事や人物評価の移り変わりをみても明らかなことです。

また、自分がこれまで関わってきた人物や出来事などの評価を振り返ってみても、思い当たる節はありませんか?

 

ならば、もっと果敢に「らしさ」を極めようとするのが、自立した自分の人生を歩むには理に適っていて自然なのだと思うのです。そしてそれが、他者との健全な違いとなるのではないでしょうか。

 

一時の良いは、これから起こり得る悪いの前兆。

一時の悪いは、これから起こる得る良いの前兆。

いつでも、どんなときでも例外なく、すべては過渡期。

 

私自身、そんなふうに飄々と生きたい、そう強く思っています。

 

繊細さんほど、まずは「図太さを装う」ことからはじめてみてはいかがでしょうか。

 

参謀 青木 永一