- 参謀の特長
- ベルロジック株式会社 代表取締役 経営学修士(MBA)メンバーの中でも、異色の経歴を持つ。 前職は、事業者向け専門の「ナニワの金融屋」であり、30代後半までの15年間の経験の中で、約500社を超える倒産と間近に関わってきた。 自称 マネジメント数学研究家(暇さえあれば、ビジネスと数学の交わり方をユーモアたっぷりに伝える工夫をしている)。
コラム
参謀 青木 永一
「理論」と「実務」の関係性を二者択一で争うことがそもそも不毛!
両者の関係について議論になることがしばしばあります。
理論は「使える」とか、「使えない」のようなもの。
このような議論は、それぞれの定義や範囲も定まらず、思い思いに自分事を中心に話すので、話は方方へと散るばかり。
心の中では、「何と不毛な・・・」とうんざりしたものを感じながら、「コミュニケーションは挑戦である」という持論に忠実でありたいため、意図して巻き込まれ、私も自分ごとを中心にして議論に挑み、楽しんでみることがあります。
「現場」と「理論」どちらかの二者択一ではない
「理論」と「実務」の関係について私なりに考えるところは、「相互補完」以外のなにものでもないというものです。
また、やや極端になりますが誤解を恐れずに伝えるとすると、「現場(実務)は理論に収斂(しゅうれん)される」という仮説を持っています。
これはサイコロの出る目に代表される「確率」がその説明を端的に説明しています。
(統計学的な確率に基づいた説明についても、別の機会に挑戦してみたいと思います。)
各目が出る確率は1/6。
しかし、6回サイコロを振れば全ての目がそれぞれきちんと1回ずつ出るというものではなく、何万回と振り続けることで 1/6という確率に収斂(しゅうれん)されていくというものです。
「現場が大事だ!」、「実務の前では理論は役立たない!」などと騒ぎ立てる人は、今自分の目の前の1回や10回が全てであり「ほら、実際の現場では違うんだよ」と言っているようなものではないでしょうか。
あなたの目の前の現場は、あくまでもあなたの経験であり、その一点の経験を過大評価し過ぎであるといえば少々言い過ぎでしょうか。
誤解のないように伝えておきたいのですが、世の中の仕事の全ては例外なく当事者にとっては実践実務であり、どれもが貴重な経験であり価値あるものです。
ただし、自分ひとりの経験談義は、対峙する相手や遭遇する場面が異なれば、また違った結果となるのではないでしょうか。そうとするならば「実務は違うんだ!」と声を大にした「実務」という言葉の定義を一般化にすり替えた反論は頼りないものとなります。
理論を肯定するにしても否定するにしても、証明に値する検証結果がなければ根拠としては乏しいです。
知識は問題をシンプルにする
私は、20代後半から15年間にわたり金融業に携わる中で、小規模企業の資金繰りの実情や 理不尽な仕事さえも請けなければならない裏側の事情など、数多く知ることが出来る機会に恵まれました。今の私が当時を振り返って思うのは、理論を知ることで避けられた倒産はいくつもあったのではないか、という疑問です。
財務課題の解決はもちろんのこと、交渉の場面においても交渉術を知ることでもっとうまく運べばた、大きな損失を避けられた業務的な交渉があったはずです。
まずは「知る」ことが大事であり、そのこと自体は目的ではありません。
理論を汎用性の高いものに仕上げるものが経験であり、その先の実力の差となるのではないでしょうか。また、実務で不足を感じたり、うまくいかない時に理論を学んでみることで問題の盲点や考えの浅はかさ、何よりも課題解決のための切り口が見つかることは少なくありません。
つまり、理論は実務との「相互補完」であり、二元論で分断的に語られたり、ひどい場合には争いの火種になるのは愚の骨頂だと思います
個人的な経験を過大評価してしまうことは、意思決定を誤った方向へと加速させ、さらには固執を生み出します。
歴史に揉まれ、育まれ、体系立てられた理論を揶揄することに無駄なエネルギーを注ぐ必要はありません。
まずは正しく知ること。そして理解し、自分の現場に置き換えた時にどのように解釈することが最善なのかを考え続ける、そのような謙虚な姿勢で「理論」と「実践」を考えることに挑んでみてはいかがでしょうか。
「知識は問題をシンプルにする」は、課題解決の場面においては普遍の真理です。
知識のない者が課題解決に取り組むことは、より一層混沌を極めることになるのは想像に易いことです。
日々の業務が忙しく、目の前の作業に翻弄される小規模企業の現場においては、是非とも知的財産構築の一環として経営理論を学び、課題解決のための新しい視点を取り入れてもらいたいと切に願っています。
私たち、参謀-Linksの願いです。