コラム

参謀 青木 永一

信用と信頼を得るためには「確率」を見立てた考え方がオススメな理由

「世の中、確率で全ては推し量れないっしょ!?」

 

言い方はともかく、私と同じ『ビジネス数学インストラクター(※)』としても活動されている方が、某大学での講義後に学生さんから受けた質問です。

 

誤解のないようにお伝えしておくと、「森羅万象、確率が世の中を支配している」と主張した講義ではありません。

 

今回は、上記のエピソードを切り口に、「確率」を見立てたビジネスにおける信頼について、なるべく数字を使わずに考えてみたいと思います。

 

(※ビジネス数学インストラクターとは、公益財団法人日本数学検定協会が認定する指導者資格です)。

 

 

中学生にもわかるような確率の説明と、統計との違い

 

確率についてWikipediaでは、

確率とは、偶然起こる現象の、現象全てに対する割合の事である。起こりやすさを数値で表した指標として使われる。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部抜粋)

 

と説明があります。

 

また、確率と混同しがちな統計については、

統計とは、現象を調査することによって数量で把握すること、または、調査によって得られた数量データ(統計量)のことである。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部抜粋)

 

と説明があります。

 

 

もしも私が、中学生に確率を説明するならば、

「あれも、これも、それも、どれもが起こる場合の『それ』が起こる場合」

とするでしょう。

 

「あれ、これ、それ、どれ」は、それぞれ1/4ずつ起こる可能性があるということになりますね。

 

つまり、確率とは『未来予測』の数値化のことです。

 

確率の数式は分数で表現されます。

分母側は「あれも、これも、それも、どれもが起こる場合」と表現したように、起こりうる全ての現象です。

 

分子側には、そのうちのいずれが起こりうると予測するのか、上の説明では「それ」の場合を指します。

 

既に起こった結果が計測され、分子側に積み上がることで「割合」が示され、その割合を通じて分析を行う手法の1つが『統計』です。

 

つまり、統計とは『現実の分析』を数値化したものです。

 

 

某大学の講義では、ビジネスの様々な場面で、確率の考え方を応用することは、意思決定において有効であることを伝えたまでです。

 

それ以上でも以下でもありません。

 

皆さんならば、この異論に似た質問に対して、どのように対応しますか?

 

学生同士の建設的な議論へと発展させるために、意図的な反論を仕掛けることも面白いかもしれません。

 

是非、一度考えてみてください。

 

 

確率が存在しない場合なんてある?

 

私ならば、と考えてみました。

 

「全ては推し量れない」

なるほど、全ては推し量れないかもしれません。

 

学生さんの勇気ある姿勢を最大限尊重し、全ては推し量れないとする主張と可能性を受け止めて、一旦脇に置きます。

 

「具体的に例えば?」と、質問に質問で切り返すことが、その後の展開に有効ではないかと可能性を探ります。

 

そのうえで「一緒に考えてみよう」と、提案によって極端に話を振ってみます。

 

  • 「じゃ、あえて『確率が全てだ』と仮定して、日常の様々な場面を考えてみよう」
  • 「君の主張のとおり『確率が全てではない』として、様々な場面を考えてみよう」

 

上記は2つに分けているものの、結局は同じことを伝えています。

 

様々な場面、これは例えば、

恋愛、受験、友人との遊び、罹患、結婚、離婚、入社、転職、仕事のプロジェクト、昇進、起業、倒産……などです。

 

人々の行動は、意識的か無意識的かを問わず、途方もない数の選択の結果だということはご存知の方も多いと思います。

その数、35,000回以上とする研究結果もあるようで、驚きです。

(※参考Webサイト: How Many Decisions Do We Make Each Day? 

 

身近な例では、

  • 会社(学校)へ行く or 行かない
  • 歯を磨く or 磨かない
  • ご飯を食べる or 食べない
  • SNSをチェックする or しない
  • この道を通る or あの道を通る

 

こんな感じで、常に取捨選択を行っています。

 

意識しているか否かは関係ありません。

 

無意識なルーティン化は、意識に頼らない無意識の決定行為と言えます。

 

日ごろこれだけ、選択と決断を行っている事実から鑑みて、確率が存在しない場合とはどのような時でしょうか?

 

 

日常の現象は2つだけに分けられる!?

 

あなたは、『それ』を行うことで、『それ』を選んだ結果に相応しいことが起こることを理解していると言えるでしょう。

 

このことを「想定内」と呼びます。

 

ですので、時々『それ』を行ったのに『あれ』や『これ』が起こった場合に、驚いたり、喜んだり、時には悲しみに打ちひしがれたりします。

 

このことを「想定外」と呼びます。

 

いかがですか?

詰まるところ、日常の現象は「想定内」と「想定外」の2枠に収まると考えられませんか?

 

この文脈では、日常の全ては1/2の確率です。

仮に「そんなの収まるはずがない!」のような意見があったとしても、私にすればそのような反論はすでに「想定内」なので、やはり確率は1/2となります。

また、反論する者にとっても「想定外」となることから、意図せずして結果的に1/2の確率になることはご理解いただけると思います。

 

 

確率を意識してリスクを排除する

 

意思決定をする場合について、本来ならば、あらゆる事態を想定し、選択肢を並べたうえで、その中から1つ以上のものを決定することが望ましい姿です。

なぜならば、盲点とされる「想定外」を極限まで排除するためです。

 

このように、想定外を極力排除することを「リスクを排除する」と表現します。

 

リスクとは、決して「失敗」や「危険」を意味するものではありません。

 

どのようなことが起こり得るかについて、捉えきれていない状態を意味することが「リスク」なのです。

 

例えば、

朝、歯を磨かずに出社した場合を想像してみてください。

口臭によって、他のスタッフから「〇〇さん、口が臭い」と思われ、不潔で近づきたくない人と烙印を押される。

 

または、

虫歯になると痛みや治療で煩わしく大変になる。

 

これらのことを避けるために歯を磨く、そんなところではありませんか?

 

『それ(歯磨き)』を行うことで、想定する日常が過ごせることを疑わない行動と結果ではないでしょうか。

 

ですので、毎食後きっちりと歯を磨いているのに、口が臭いと言われたり、ひどい虫歯が見つかった場合には、やはりショックを受けるに違いありません。

 

これはあきらかに「想定外」の出来事だからです。

 

これらの「想定外」を極限まで排除することは至難の業ですが、それでも私たちビジネスパーソンは信用を得るため、そして信頼されるためには「想定外」を無くすための惜しみない努力を重ねることが理想です。

 

この点、最後に述べて終わります。

 

おわりに

 

未来に向けて生きる私たちは、確率に包囲されていると言っても過言ではありません。

 

「世の中、確率で全ては推し量れないっしょ!?」と主張した、学生さんの気持ちは理解します。

 

「想定外があるということは、全ては確率では推し量れない」と考えた、素直な意見だと思います。

 

私たち、ビジネスパーソンが学生と大きく異なる点は、自己責任の根幹ともいえる「リスク管理能力」が強く求められることにあります。

 

リスク管理能力とは、想定外を排除しようとする危機意識のことであり、さらに危機意識とは、あらゆる場面を想定する「想像力」です。

 

確率を意識し、想像力を働かせて想定外を排除しようとすることは、これからのビジネスや人生において、あなたが「確かな人」と信用され、そして信頼されるための条件になります。

 

確かなビジネスパーソンとして活躍するためにも、確率を見立てた数学的な思考を意識することをお勧めします。

 

【番外編】ふと湧いた疑問

全てを確率だと断定した場合、確率ではない場面が存在しないため、もはや確率ではないのでは?

この問いについて考察するためには、哲学的な知識が必要なのかもしれません……

 

参謀 青木 永一

 


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このコラムの著者:

参謀青木 永一

参謀の特長
ベルロジック株式会社 代表取締役 経営学修士(MBA)メンバーの中でも、異色の経歴を持つ。 前職は、事業者向け専門の「ナニワの金融屋」であり、30代後半までの15年間の経験の中で、約500社を超える倒産と間近に関わってきた。 自称 マネジメント数学研究家(暇さえあれば、ビジネスと数学の交わり方をユーモアたっぷりに伝える工夫をしている)。