コラム

参謀 青木 永一

リーダーシップがリーダーシップごっこにならないためのトリセツ

リーダーシップ

 

起業家の一時の成功がもてはやされる場面を SNSなどでよく見かけます。

 

カリスマ性があり、リーダーシップがあり、天才的な着眼点を持っている、といったようなものです。

 

しかし、その後の追跡をしてみると、厳しい結果になっていることも珍しくなく、中には 人知れず企業生命が終わっていた…なんてこともままあります。

 

「勢い」と事業に関係のない人の「歓声」で経営がうまくいくなら苦労しません。

 

では一体、経営を継続させるために 真に必要なものとは何なのでしょうか。

 

個人的見解であることを断りながら、少し掘り下げて 考えてみたいと思います。

 

 

リーダーシップを意識する前に知っておいてほしいこと

 

私は、過去に法人向けの融資に従事し、債権管理と回収、企業の最後ともいえる倒産の現場に長く関わっていました。そして現在は 当時とは真逆ともいえる企業を生かすための事業再生と組織マネジメントに関わっているのですが、それらの経験から組織が機能不全を起こす原因のほとんどがマネジメントの不足にあるように思います。

 

マネジメント[management]は、英単語としては「管理」と訳されることが多いですが、これはマネジメントの一部の機能を表しているに過ぎず、経営を支える様々な資源の「活用の技術」と訳されるべきではないかと考えています。

 

どのような技術かを一言で表すならば、「はかる」技術です。

 

以下、「はかる」の代表的な内容を一部ですが記しておきます。

  • 慮る(状況や状態、意図を)
  • 諮る(意見や相談を)
  • 図る(環境や計画を)
  • 計(測)る(人の適正やデータを)

従業員3名ほどであれば、マネジメントはほとんど必要ありません。なぜなら、経営者の目が隅々まで行き届き、夫婦間で、親子間で、友人間で阿吽の呼吸で伝わるからです。

 

しかし従業員が増えてくると話は変わります。

 

社長が従業員へ目が届くのは100名まで、という話がありますが、中小企業の事業再生に携わる私の立場と経験から言わせてもらうと、10名を超える時が組織にマネジメント機能を持たせる必要があるタイミングだと思います。

 

10名の従業員がいるとしましょう。

その規模になると、従業員に家族、知人以外の他人が含まれているかと思います。その人たちには当然それぞれの人生があり、年齢、家庭環境、将来設計、仕事に何を求めるかも一人ひとり違います。

 

もちろん 仕事内容も違えば、指示が欲しいのか自由に動きたいのかも違いますし、社長や同僚とのコミュニケーションの取り方も違うでしょう。

 

そのような人たちに対して、経営者が「こう働いてほしい」と示そうと思うと、あらかじめ会社の計画を「図る」必要がありますし、それを従業員に対し「諮る」機会が必要になります。

 

また、従業員の人数が多くなれば、一人ひとりと接する時間は減っていきます。黙々と工場で働くような職人のような場合であればなおさらです。

 

限られたコミュニケーションの中で従業員の状態や気持ちを「慮る」ことが必要になります。

 

そして、会社の規模が大きくなればなるほど 全てを自分で決めるのは難しくなるため誰かへ部分的に権限を渡す必要があります。となると、役職を定めるタイミングでもあるわけですが、自己評価と他人評価が乖離している人ほど、あいつは社長に気に入られている、あいつは期待されているから…などの妬(ねた)み僻(ひが)みの類が社内に潜むようになるかもしれません。

 

そうなると、役職を決める前にどのように能力や成果を「測る」かを決め、それを従業員に「諮」り、理解と納得を得る必要があります。さもないと、従業員のロイヤリティ(忠誠心)は低下し、離職に繋がり、余計な採用コストを払う羽目になるわけです。

 

これらの「はかる」技術がマネジメントなのです。

 

残念ながら、この「はかる」を意味するマネジメントは 往々にして後回しになりがちです。

 

なぜなら、日常の業務は「こなす」ことが必須であり、成果と達成感が即時的に得られますが、マネジメントは 経営上とても重要ではあるものの、緊急性を感じにくいことに加えて、即時的な達成感が得られないからなのでしょう。

 

このような、作業優位で日々の経営が回っている場合、毎日同じような問題が発生し、その場しのぎの解決策があてがわれ、それら一連の取組みらしき対応がなんとなくの雰囲気で誰かの役割として決まるといった、要するに『組織的である』と呼ぶには ほど遠い実態ではないでしょうか。

 

 

リーダーシップの神格化がもたらす弊害

 

マネジメントの中でも、特に組織マネジメントにおいて課題を有している経営者の方と話していると、連発されるキーワードが「リーダーシップ」という単語です。

 

経営課題をリーダーシップという単語を絡ませる会話の内容から察するに、その多くは、決断力があり、皆を統率し、個人としての能力も高い、というキラキラしたイメージで使われているように思います。

 

きっと、世間的には間違いではないのでしょう。

 

しかし、私が捉える「リーダーシップ」というものは、目標や課題に対して始末をつける態度や行為(に過ぎない)と捉えています。

 

絡み合った複雑な問題をシンプルかつ具体的に『展開』させる能力があり、その能力を発揮するタイミングを間違えない人だけが使える技術です。

 

もちろん、それは(本当に持っていれば)一つの能力であり魅力です。

 

しかし、組織のマネジメント機能不全をこじらせた”自称”カリスマ経営者ほど、「経営者は孤独だ」のような使い古された言葉を盾に、リーダーシップとしての出番とセリフを間違えていることに無自覚だから厄介なのです。

 

課題解決(設定)を経営者個人に依存させたまま、相談や任せることができる右腕を作れていない不足は 百害あって一利なしです。

 

自己顕示欲が強い”自称”カリスマ経営者は、メルヘンやファンタジーを求める従業員からは一定の需要があるでしょう。

 

しかし、それはあくまで妄想にもとづく期待であり、そのカリスマの実力と従業員の期待値はいつかどこかで必ず乖離します。

 

結果、そのような経営者は自分のイメージが崩れないように場当たり的な叱咤による対応や、自分を取り繕うための嘘をついたりすることになります。最悪の場合は、犯罪に手を染めるなどに至ることもあります。

 

属人的なリーダーシップやファンタジー的なカリスマ性で経営課題を解決しようとせず、両輪の一つとして地道にマネジメントに向き合い、経営課題の解決に臨んでください。

 

マネジメントとリーダーシップの間に乖離が生じると、組織の推進力は100%失われます。

 

もし、マネジメントが苦手だと感じたら、外部の専門家に協力を要請するのも手です。

 

マネジメントがなされてこそ、リーダーシップはより善く活用されるのではないでしょうか。

 

参謀学Lab.研究員 青木 永一

このコラムの著者:

参謀青木 永一

参謀の特長
ベルロジック株式会社 代表取締役 経営学修士(MBA)メンバーの中でも、異色の経歴を持つ。 前職は、事業者向け専門の「ナニワの金融屋」であり、30代後半までの15年間の経験の中で、約500社を超える倒産と間近に関わってきた。 自称 マネジメント数学研究家(暇さえあれば、ビジネスと数学の交わり方をユーモアたっぷりに伝える工夫をしている)。