コラム

参謀 青木 永一

時間の使い方が、あなた自身の価値をつくっていく

「自分を大切にしましょう」


あまりにも擦られすぎた言葉のため、もはや“意味を帯びた言葉”としての輪郭すら薄れている。


私たちは本当に、それを具体的に理解できているだろうか。

バランスの良い食事をとること?

無理な依頼を断ること?

あるいは、SNSを閉じて早く寝ること?

もちろん、どれも悪くない。しかし、それらはどれも表面的な「行為」にとどまり、その意味を深く捉えようとすると、どこか上滑りしてしまうように感じる。

 

このコラムでは、「自分を大切にする」とは何かを、“時間の使い方”という視点から見つめ直してみたい。

 

日々のささやかな選択が、やがて未来の自分を育てていく。そんな当たり前のようで見落としがちな事実を、改めて言葉にしてみようと思う。

 

 

 

外見は衰えるが、内面は投資で成長する

 

外見は誰しも時間とともに変化する。努力次第で緩やかにすることはできても、老いそのものを止めることはできない。

 

一方、内面は「投資」によって成長できる資産だ。

何に時間を使い、何を遠ざけるか、その選択が自分の未来を形づくっていく。

 

私が考える、排除すべき“内面の毒素”は以下のとおりだ。

  • 暇(無目的な時間の浪費)
  • 鈍感(自分や他人への感受性の欠如)
  • 他責(責任を他人に押しつける思考)
  • 被害妄想(歪んだ認知)
  • 嘘(意識的・無意識的な自己欺瞞)

これらは、放っておけば人格を静かに蝕み、やがて仕事や人間関係に致命的なひずみを生む。未来の自分を知らず知らずのうちに損なっていく“誰にも気づかれず腐っていく地中の根”のようなものだ。

 

 

些細な出来事に自覚的であるということ

 

「自分を大切にする」とは、大きな行動変容をともなう類のことではない。まずは、日々の中にある“ささやかな体験”を、丁寧に拾い直すことから始まる。

 

たとえば、

  • 「今日のコンビニ店員の笑顔」
  • 「帰り道のキンモクセイの香り」
  • 「電車の中の赤ちゃんの寝顔や笑い声」

 

そうした何気ない瞬間を、ただ通り過ぎるのではなく、意識的に「いいな」と気づける感性を取り戻すこと。そのささやかな肯定こそが、「明日も頑張ろう」と思える足場になる。

 

内面に積もる疲れをそっと拭うような習慣が、自分を粗末にしないための再起動になるのではないだろうか。

 

 

“今だけ”の最適化が未来を潰す

 

ある人物のことを思い出す。

その人は、自分の成果に自信が持てず、過去の失敗を過剰に引きずっていた。その不安を正面から見つめることを避け、代わりに周囲へ攻撃的な態度をとるようになっていった。

 

仲間の実績をゆがめて上司に報告し、自分の立場を守ろうとしたり、小さな成果を無用に誇張し、上司に評価されようと躍起になることなど。

 

だが、その言動はむしろ、周囲の信頼と協力を静かに失わせていた。

 

情緒と表情はいつも不安定で、人間関係はぎこちない。

 

それでも本人には、自らの言動が周囲に与えている影響がまったく見えていない。

 

私はその姿を見て、「自分を正しく自覚できていない人は、未来を蝕む可能性にすら無自覚である」と思う以外になかった。

 

他人の目を通して自分を定義しようとするその姿は、“今この場”を守るための過剰な最適化にすぎず、結果として未来の可能性を削り取ってしまっていると云えるのではないだろうか。

 

 

深夜に悩まず、光の中で考える

 

「人は深夜になると、悪いことばかり考える」

 

これは脳科学や心理学の世界でもよく知られた現象だ。夜は、孤独や疲労感が思考に対して悪さを行い、ネガティブな連想を誘発しやすい。その状態で下す判断は、どうしてもマイナスな方面に傾きやすい。だからこそ、考えごとをするなら、天気の良い日中に、洗顔を済ませて、光の差す部屋でが鉄則だ。

 

これは精神論ではない。「未来の自分に恥じない状態で思考する」という、自己管理の一環だ。

 

感情に流されるのではなく、自分という資源を“整えた状態で扱う”こと。それもまた、自分を大切にする行為のひとつにほかならない。

 

 

時間の扱い方は、そのまま“人生の扱い方”である

 

ベンジャミン・フランクリンの言葉で

「人生は時間でできている」

 

というのを本屋での何気ない立ち読みで知った。

 

この言葉をもとに、私たちが普段何気なく使う“時間”という言葉を、“人生”に置き換えてみる。

 

  • 時間を潰す → 人生を潰す
  • 時間を無駄にする → 人生を無駄にする
  • 時間を守らない → 人生を守らない

 

たったこれだけの変換で、ずしりとした重みが加わるように感じるのは私だけだろうか。

 

人生とは、時間の積み重ね。だからこそ、時間の使い方がそのまま人生の質を決めるということを、忘れずにいたい。

 

 

自分を大切にするとは、“未来に恥じない今日を積み重ねる”ということ

 

「今さえうまくいけばいい」

そうした発想は、一時的な安心や自衛にはるながるかもしれない。しかし、それは往々にして未来の可能性を静かに削っていく刃ともなりうる。

 

自分を大切にするとは、自分の言葉・感情・時間に対して“丁寧に選び取る”という意思の表れであり、「未来に恥じない今日を積み重ねる」ための態度にほかならない。

 

その日々の選択が、自分への信頼を育て、やがて他人からの信頼にもつながっていく。

 

他人からの評価も、自己肯定感も、その根はすべて“時間の使い方”にある。

 

「自分を大切にする」とは、今日この瞬間の時間をどう扱うかを選び直すこと。そのささやかな一歩から、人生の質は静かに、そして確実に変わり始めるのではないだろうか。

 

参謀学Lab.研究員 青木 永一

このコラムの著者:

参謀青木 永一

参謀の特長
ベルロジック株式会社 代表取締役 経営学修士(MBA)メンバーの中でも、異色の経歴を持つ。 前職は、事業者向け専門の「ナニワの金融屋」であり、30代後半までの15年間の経験の中で、約500社を超える倒産と間近に関わってきた。 自称 マネジメント数学研究家(暇さえあれば、ビジネスと数学の交わり方をユーモアたっぷりに伝える工夫をしている)。