コラム

参謀 青木 永一

アンチMBA必見!大人の学び直しの本当の価値と知識の持つ意味について

よく勘違いされるのですが、参謀リンクスメンバーの共通項MBA、これは「資格」ではなく経営学を修めたものに対して授与される「専門職学位」のことです。

 

経営学と一口に言ってもその範囲は広く、大きくは「思考系」「ヒト系」「モノ系」「カネ系」「志系」に分かれます。さらに、それぞれを基礎、応用、展開のレベルに分け、3年前後にわたって習得します。

 

一部、概略をご紹介すると、「思考系」は論理的思考とそれを基にしたネゴシエーション、ファシリテーション、定量分析などが挙げられます。「ヒト系」は、組織行動とリーダーシップ、異文化人材を含む人材マネジメント、メンタルヘルスなど、組織を創る人の行動を科学する分野です。

 

まだその他40を超える科目の中で、それぞれの目的に応じて取捨選択を行い、課題解決と創造、そして意思決定に必要な知識を習得するために実例を用いて学びます。

 

経営学は、実践の経営の全てを網羅したものではないですが、その一部を的確に表し体系化された知識であることに間違いありません。

 

 

MBAに対する批評は愚論極まれり

 

巷ではMBAに対して否定的、肯定的な意見など様々な評論がありますが、当人にとって「何のために学び、どう活かすのか」が明確であれば、それが学ぶことの内発的動機付けになり、他者の声は一切関係ありません。

否定する立場の方が、そもそも経営学について何をご存知なのか、この点は大いに興味があるところです。

 

間違いないのは「学びのないところに進歩と発展はない」ことであり、不毛な議論は時間の無駄であるため終えるべきです。

 

「否定」は評論家の定番仕事であることは理解しつつも、自分の生き方にもう少し真摯に向き合うべきだと思うのは私だけではないでしょう。

 

学びを止めない

 

「実践」、あなたにとっての定義とは?

 

さて、ここで一つご質問をしたいのですが、読者の皆様にとって「実践」とは何を意味しますか?(1分ほど考えて、明瞭な説明ができるか試してみてください。)

 

これは私が懇意にさせて頂いている創業経営者の方(以下K氏)との会話の中で投げかけた質問です。

 

K氏は、これまで大変な苦労をされて商売を少しずつ大きくされてきました。

K氏曰く、「勉強もいいが、実践のないところには何の成果も生まれないんじゃないか?」と、何気ない会話がきっかけとなり以下に述べる展開となりました。

 

この言葉自体に異論はありません。ですが、ほんのわずか心に引っかかる違和感に対して素直に質問を投げかけさせていただきました。

 

「K氏にとっての実践とは何を意味されるのでしょうか?」。

K氏曰く「いわずもがな、行動以外に何がある」とのことでした。

 

私もそのとおりだと思います。

 

しかし、もう一歩食い下がって「いったい何を軸にして行動をすれば良いのでしょうか、まさか闇雲にとにかく行動するということが『実践』ではないことは自明の理だとはご理解されていると思いますが」となったところで、K氏のほうから「わかったわかった、絡んだ私が悪かった」と笑いながら会話を終えたことを今でも憶えています。

 

皆さんにとって「実践」とは、一体何を意味しますか。

 

個人的には、学びで得た知識と経験を基にした仮説を立て、検証と改善のための行為こそが「実践」だと考えています。それが、私自身「学びと実践は両輪」と強く思う所以です。併せて「貢献と利益は両輪である」についても、経営者が持つべき基本姿勢であると考えています。

 

今や昭和中期までのように、事業を起こせば人口増加と景気の波に乗って拡大が望めるような時代でないことは誰もが理解していることです。あらゆる情報群から精度が高く必要なものを厳選し、まずは広く、そして取捨選択の後に深く思考を使い、小さく検証を積み重ねながら効率を求め、そして知恵に発展させた者だけが競争環境から一歩抜きん出る時代です。

 

「考える」という行為は、自分の中に既にある言語と思考の使い方に強い制約を受けます。実際に読者の皆様も、既知の言語や知識以外で何かを考え、結論を導き出すようなことはできないはずです。

 

数学の問題を解く場合で例えると、理解しやすいと思います。

問題の難易度にもよりますが、公式を知る者と知らない者との差は、致命的であることは容易に想像できるはずです。

 

公式

 

MBAだけに限らず、知識は問題をシンプルにする

 

経営とは意思決定の連続です。その意思決定を助けるのはやはり幅広い知見と経験です。俯瞰と凝視の視力調整、そして知識の共有から生じる共通言語によって意思決定に至る時間効率を改善していくことは、発展を願う経営者の永遠の課題でしょう。

 

村社会的な思考、個の経験と勘だけに頼った君主が、民衆や国までも滅ぼす悲惨な末路に至った事実は歴史的にも枚挙にいとまがありません。

 

「人生100年時代」と言われる昨今、それだけ幅広い知見と経験を得る機会も増やすことができるわけですから、企業規模の大小問わずそれぞれの在り方を今一度改めて見直すべき時なのだと思います。

 

未来に対していかに責務を果たすか、社会に貢献するかなど、人間の叡智と勇気にかけた挑戦的なミッション(使命)が企業には必要だと「人生100年時代構想会議」が提唱しています。

 

ミッションを果たすための必要条件は、企業の主体である「人」の在り方、より良い違いをもたらすための「学び」と「志」、そして切磋琢磨し合える「仲間」の存在です。

 

学ぶことの意義とは、知識を習得することによって問題をシンプルにすること。そしてその作用によって精度の高い検証と改善(=実践)を行ない、より良い違いをもたらすことだと考えています。

 

知識は行動を支え、未来を照らし、裏切ることがありません。

 

目的と意味ある学び直しを継続的に行うよう、努めていただきたいと思います。

 

応援しています。

 

参謀 青木 永一

このコラムの著者:

参謀青木 永一

参謀の特長
ベルロジック株式会社 代表取締役 経営学修士(MBA)メンバーの中でも、異色の経歴を持つ。 前職は、事業者向け専門の「ナニワの金融屋」であり、30代後半までの15年間の経験の中で、約500社を超える倒産と間近に関わってきた。 自称 マネジメント数学研究家(暇さえあれば、ビジネスと数学の交わり方をユーモアたっぷりに伝える工夫をしている)。