コラム

参謀 山尾 修

「自分が見たいものしか見えていない現実」-視野狭窄の実態-

皆さん、社内で色々な会議に出席することがあると思います。

会議終了後、職場に戻って上司から会議の報告を求められたとき、的を射た返答ができていますか?

あなた自身はモゴモゴして答えに窮しても、同じ会議に出席していた先輩はスラスラと言葉が出てくる。そのような経験はありませんか?

 

なぜ、このような差がつくのでしょうか?

 

もちろん、これまで積み上げてきた実務経験による差はあるでしょう。

しかし、要因はそれだけでしょうか?

なんとかしてその差を補う方法はないものでしょうか?

 

今回はそんなお話をしてみたいと思います。

見えているものが見えていないとは?

 

皆さん、「人間は目に見えているもの全てを必ずしも認識できている訳ではない」ということを聞いたことがないでしょうか?

 

“眼”を通過して情報が入ってくる、つまり眼に見えていたとしても、その情報を脳がきちんと受け止めて処理できなければ見えていた情報は捨て去られてしまい、見えていないのと同じことになります。最終的には脳が受け止め切れたことしか見えない、認識できないようにできているのです。

このような現象は、専門的な言い方をすると「選択的知覚」といいます。

 

 

ある実験による気づき

 

理解いただくために、ある実験を紹介します。

色々な小物が置かれたある部屋で、質問者と回答者が一人ずついる状態での実験です。

  • まず回答者に、室内の様子をさっと眺めてもらいます
  • 次に質問者が「青いものは何個あったでしょうか?」と問います

恐らく回答者は明確な回答ができないでしょう

  • もう一度、室内を見てもらいます

回答者は青いものを必死に探して数えるでしょう

  • 再び質問します「赤いものは何個あったでしょうか?」

肩透かしをくった回答者は答えられないでしょう

 

いかがでしょうか?

視界に入っていたとしてもしっかりと意識できていないものは結局スルーされてしまうという事例です。「見ようと思わなければ、見えていても見えない・認識できない」とは、このような状態を指します。

 

 

自分の問題に置き換えてみると

 

冒頭のケースにおいて、会議終了後に上司からの質問に答えられなかったのは、先輩との経験の差だけではなく、あなた自身の事前準備が足りていなかったことに起因するのかもしれません。

その会議では何が議論されて、何を決めるのか。会議の目的さえしっかりつかんでおけば、あなたはその答えを聞くことに集中すれば良いはずです。しかし目的がわかっていなければ、議論内容に集中できず、そもそも何が議論されているのかを探り当てるところからはじめなければなりません。

 

この状況を先ほどの実験に例えるならば、「最初に何色に注目しておけば良いかを知っている・知らない」というのは、会議の要点をつかむうえでは非常に大きな差になることはすぐに理解いただけるのではないでしょうか。

 

 

おわりに

 

この話は会議の場だけにとどまりません。これまで経験がないことにチャレンジする際には、見なければならないものを的確につかむことがより重要であり、事前にどこまで怠らずに準備ができるかどうかに成否がかかってくるとも言えます。

日々の仕事においても、基本を大切にしていきたいものです。

 

今回は「自分が見ようと思わなければ、見えていても何も見えない・認識できない」というお話でした。

日々の業務に少しでもお役に立てば幸いです。

山尾 修

このコラムの著者:

参謀山尾 修

参謀の特長
大学卒業後、20年以上にわたって電機メーカーにてモノづくりに従事。管理畑を中心に経験を重ね、新興国での海外赴任も経験するなど、モノづくりの上流から下流までを経験。それらの経験を活かして、現在は赤字事業の経営再建に取り組み中。 自らの経験にMBAの経営理論を加え、経営現場をサポートします。